こんにちはみなさん…。
晴れた日はもう、陽射しが暑い…( ̄▽ ̄;)。
陰の色も一段と濃くて…。
菊地は元気です。
相変わらず早朝の電車の窓を開けまくっています。
こう暑くなってくると 車両の窓開けと冷房の効きとの兼ね合いが気になりますが、平素から電車の車内は冷房が効きすぎていると感じているので、少し窓を開けることで車内の空気も攪拌されてちょうどいい塩梅になるのでは…と勝手に思い込んでいます。
ものすごく電気を無駄遣いしているような気もしますが…。夏の電力大丈夫なんだろか(>_<)。
コロナウイルスも簡単には収まりそうにないですし…。
「第2波真っ只中…」という北九州市の市長さんの言葉が重いです((+_+))。
10周年記念展…
10月に池袋の東京芸術劇場内のギャラリーで予定していたJWS・日本透明水彩会の結成10周年を記念して企画していた展覧会は 中止となりました。
もちろん、コロナの感染拡大を懸念してのことです。
やはり集客が見込めない、また集客出来たとして、今度は感染の拡がりが恐い…ということで 苦渋の決断ではありましたが、中止と相成りました。
4月の丸善でのJWS展に続いての中止で 今年はJWS関連の展覧会がなし、という異例の事態となってしまいました。
私のホームグラウンド・池袋での開催、ということもあって 結構意気込んでいたのですが、残念無念…( ̄▽ ̄;)。
まあ、来春の丸善展に向けてまた、頑張ります!
市野川の、春
新作を一点…。
春のやわらかな光のなか、ゆったりと流れる川…という構図です。
ちなみに元ネタがこちら。
地元・埼玉県東松山市内を流れる川はいくつかありますが、そのうちの一つ、「市野川」の流れ…。
水源は寄居町辺りになるのかな?
私が40年前に卒業した小学校はこの川のほとりにあるので、「市の川小学校」といいます。
「紫匂う武蔵野に 清く流るる市野川…」と、校歌に歌われているのですが、当時はあまり清い川ではなかったと記憶しています。
そのころ住んでいた家から学校までは 子供の足で徒歩15分くらい、毎朝この川の様子を見ながら登校していましたし、放課後、友達と遊ぶのも大体、川の周辺…なので、想い出といったら よく絵にする「都幾川」よりも この市野川にまつわる想い出の方がはるかに多いのです。
4、5年生くらいの時だったでしょうか…。
柄にもなく ヘンにロマンチックなことを思い付いて、「このビンを拾った方はお手紙ください」という文言と 住所と名前を紙に書いて、ジャムかなんかの空きビンに詰めてこの川に流したのは…。
今だったら、川の途中には浅瀬も深みもある、堰や水門もいくつも設けられているのだから、遠く下流までビンが流れてゆくわけがない、とすぐに分かるのですが、そこが小学生((+_+))。
ずっと下流の、知らない街まで流れてゆくのだろうな、いや、海までいくかも…どこか知らない街の、可愛い女の子から手紙が届いたらどうしよう…などと不埒な想像に酔っていたら、流してからわずか30分後(笑)、家のそばに住む、毎朝同じ班で一緒に登校している同級生が 片手に釣り竿、もう片方の手にいましがた私が流したばかりのビンを持って我が家へやってきたのは…( ̄▽ ̄;)。
その時の恥ずかしさといったら、もう…(爆)。
またその同級生が、「こんなことしてんなよー」とでも言ってくれたらまだ「てへっ」とボケることも出来たんですが、「こ、これ拾ったんだけど」と すごく真面目な顔をして持ってくるもんだから、「はあ…どうも…」と言って受け取るしかなかったという…。
こうして 小学生だったころの私、菊地が思い付いた「知らない街の可愛い女の子と文通しよう」計画は わずか30分で脆くも、頓挫したのでした(*_*)。
儚い夢だったなぁ…(#^^#)。
気を取り直して…(笑)、上の元ネタ写真には左奥に高速道が写っていますが、さすがにこれは絵にならないので省きました。
地味で 特に見せ場となるようなポイントもない絵ですが、春の麗らかな空気感は出たかなぁ…(*´▽`*)。
軽いタッチですが、水の表現としては結構、理想に近い出来です。
描き込まず、でも 水の量感、すべるような水面の落ち着きなど、コンスタントにこういう水の表現が出来ればよいのですが、そこがなかなか難しい。
まあ、また次、頑張ります(≧▽≦)。
いま思うと、ビンに詰めずに風船に括り付けた方がよかったのかも…。
でも 普通に息を吹き込んだ風船では飛ばないしなぁ( ̄▽ ̄;)。
ではでは~(@^^)/~~~