こんにちはみなさん…。
ご無沙汰しております。
思うことがあふれて 思考がまとまらない日々です。
82才の父が突然、この世を去ってしまい、このところバタバタしておりました。
葬儀までは無事終わり、これから様々な手続きに奔走せねば、という段階です。
せっかちだった父らしく、家族に別れも告げずに逝ってしまいました(+_+)。
父はここ数年、認知症の症状が出始めていて、そろそろ介護保険の申請をしていつでも介護サービスを受けられるようにしとかんと…と思っていた矢先でした。
認知症の人が 出かけたまま行方不明になり、とんでもなく遠い場所で発見される、というのは わりとよく聞く話ではありますが、まったく同じことを父もやらかしてしまいました。
10月31日の衆議院選挙の際、「投票に行ってくる」と言って自転車で出かけたまま帰って来ず、夜になって なんと、家から18キロも離れた埼玉県比企郡小川町と大里郡寄居町の境目付近で保護されるという… しかも自転車ごと転倒して腕に大けがを負い、そばの家に助けを求めたんですと!
その家の方からの通報で小川町警察署に保護された後、自宅まで送り届けられてきました。
翌日 病院で腕のけがが複雑骨折と判明するも じっと安静を保てない人は骨折の治療は無理と言われて、痛み止めを処方されただけで家に帰されてしまいました。
それから3日間は母と二人で 結構ハードな介護を強いられました。
もう本格的な介護の始まり、腹を括るしかない、と覚悟したのですが、11月3日の夜、私も母も 父本人も寝入った後、その父が心筋梗塞を起こしてしまい、翌朝 私が起きた時にはもう、身体が冷たくなっていたという次第…( ̄▽ ̄;)。
私も 父の横で寝ていた母も父の「最期」は見ておらず、人は こんなにもあっけなく逝ってしまうものかと、新しい無常観に苛まれております。
ただ 正直、ほっとしたのも事実…。
晩年の父は 若い頃とはまるで人が変わったように口うるさく、つまらないことで八つ当たりするなど ほとんど駄々っ子みたいになっていたので、あのまま介護生活に突入していたら母も私ももっともっと疲弊させられていたはずです。
その母もこの1年くらいで急速に耳が遠くなってきましたし、物忘れもひどくなってきています。
…が、私が 出来ることなら避けたい、と恐れていた「父と母のダブル介護」は これでなくなりました。
入院もせず 施設にも入らず、大好きな家から旅立ったことは 父にとっても本望だったんじゃないかな、と思っています。
享年82才と 最近では極々平均的な年齢ではありますが、父の兄弟はみな早死にで すでに他界しているので、兄弟のなかでは最後のひとりでした。
今頃は 先に逝った兄弟や父親、父が中学生の時に亡くなったという母親とも再会して よろしくやっているのでは…と想像しています。
いずれ 母さんもオレら兄弟も、そちらに行きます。
その日がくるまで、しばしお別れです、父さん(*^-^*)。