とてもとても 静かな秋(*^-^*)。

こんにちはみなさん…。

ここに来て 一段と寒さが増してきたように感じます。

晩秋の名残り…。比企郡小川町にて。

お身体、くれぐれもご自愛ください(+_+)。

父がいなくなってからというもの…。

「醬油」が減りません(爆)‼

あの… なんか もう、その減らなさ加減がすごすぎて…( ̄▽ ̄;)。
「父さんいないとお醤油こんなに減らないんだねぇ」などと 母と笑っております。
父は昭和14年、埼玉県熊谷市の隅っこの 農家の五男として生まれました。
生まれてすぐに亡くなった子も含めれば 11人くらいの兄弟だったそうですから、生活も大変だったでしょう。
たくさん子供をつくって そのうちの何人かが大人になって働き手になってくれれば…そんな時代です。
白いコメのごはんは滅多に食べられなかったそうですから、ましてや「洋食」なんて 食べることはもちろん、見ることすらなかったでしょう。
ソースやケチャップ、マヨネーズといった調味料を使って食事しているのを見たことがありません。
母がカレーライスを作った時は一緒に食べてはいましたが、そのカレーにすら醤油をドバドバ回し入れるのですから、もう、「お蕎麦屋さんのカレー」どころではありません(笑)。
「父さん死んだら墓石に醤油かけてやるから!」と冗談を飛ばしたこともあるくらい 醬油大好き人間だったので、このギャップの大きさも納得は出来るんですけど…。
あと、これからこうなるだろうと予想はしていましたが、家の中がとてもとても静かになりました(#^^#)。
母が 耳が遠くなってきた旨、前回書きましたが、父はもう 還暦を迎えたころから聞こえが悪くなり、近年は補聴器なしではまったく聞こえないほど耳が遠くなっていました。
この 耳が遠い者同士のかみ合わない会話というのがもう、そばで聞いててうるさいのなんのって…( ̄▽ ̄;)。
耳が遠いと自然に声が大きくなりがちです。
そこへもってきて 自分の言うことが通じない、相手の言ってることが聞こえない、分からないということになって どんどん会話がとげとげしくなってゆく…。
それでなくとも 認知症の症状なのでしょう、晩年の父はすごく怒りっぽくなっていたので、本来なら起こるはずのない、無意味な諍いが日常茶飯事でした。
私は 聞こえなかったら聞こえるまで喋ってあげるだけだと割り切っているので、 父や母から繰り返し聞き返されてもイライラすることはないのですが、そういった割り切りが二人とも、出来ないのです。
話し始めるタイミングや 話す前にちゃんと相手の注意をこちらに向けさせるなどすれば、あとは大きい声でゆっくり喋ってあげれば いくら耳が遠くてもそう何度も聞き返されることはないのですけどね。
かみ合わない会話をそばで聞くストレスから解放されて、ようやく望んでいた静けさがやってきたなあと 一人ごちているこの頃です。

ぽってりぼたん
あまり褒められた話ではないのですが、教えている教室で生徒さんたちに描いてもらう課題はネット上で拾うこともしばしばです。
これも そんな画像から描き起こした一枚(*^-^*)。

ぼたんの花です。
課題として出す以上、自分でも描いてみなければと仕上げた作品です。
出来は 花が苦手な私にしては、まずまず…かな?
ぽってり、丸い花の量感、立体感は出せたように思います。
個展に出そうか出すまいか、ちと迷っています。
フリーの素材なので 法的には問題ないはずですが、プロの画家がネットで拾った画像から絵を起こして個展に出すっていうのもなあ。
もっとも 無名の絵描きがどうやって絵を描いているかなど、誰も気にしてないっていうのも事実なんですが。
気にされて、咎められるくらいになれって話です(+_+)。

我が家の「ひめ号」、元気は元気なのですが、ヒステリックな振る舞いが目立ちます。


防寒のために 小屋の中に敷いてやった古着や毛布を引っ張り出して、狂ったようにぶんぶん振り回したりします。
「じいちゃんどこ行ったのよ! 何でいないの⁉」と叫んでいるかのようです。
ひめを溺愛していた父の方が 最後はひめの下僕みたいになり果てていたので無理もないのですが(笑)。
ではでは、また~💛