水彩画家 菊地和広のブログ ATELIER TURNTABLEへようこそ。
透明水彩画を描き始めて30年余りになります。
ようやく感性にテクニックが追い付いてきた、と近頃は感じておりますが まだまだ、思い通りに描けないこともしばしば…。
でも、それだけに 可能性も無限大。
紙の上でせめぎあう淡い色の世界へ 自分がどこまで入ってゆけるのか、いまからわくわくしております。
菊地 和広 略歴
1968年 埼玉県東松山市生まれ。
1988年 日本デザイン専門学校グラフィックデザイン科卒。在学中、入谷清英氏に師事。水彩画を学ぶ。
1994~2008年 武蔵野市·吉祥寺ギャラリーにて個展。
2009年~2016年 銀座·あかね画廊、ギャラリー向日葵にて個展。
他 個展、グループ展多数。
水彩画の世界へ
小学校へ上がったばかりの頃、結婚した叔母が結婚祝いのお返しにと、いわさきちひろさんの絵本を親戚中に配ったのが 私にとっての水彩世界への入口になりました。
この時貰った絵本が ちひろさん晩年の傑作、「戦火のなかの子どもたち」。
真っ赤なシクラメンの花びらに浮かぶ、魂そのもののような子どもたちの顔と 「わたしたちの一生はずっと戦争のなか⋅⋅⋅」というフレーズに ただただ、怖い!と⋅⋅⋅。
怖いがゆえに ほとんど本を開くこともなく、小学校を卒業する頃には その絵本は家の本棚から消えておりましたが、高校卒業後に入学したデザイン学校の図書室でちひろさんの絵本を見つけ、あの時のあの絵本は こういう人が描いていたのか!と 初めて作者に興味を持ち、あんなに心震わせる絵が描けるなら 自分も水彩を使ってみたい、と思ったのがそもそもの始まりです。
入谷先生のこと
もうひとり、とても大きな影響を受けたのが、デザイン学校の2年生時にお世話になった入谷清英(いりたに⋅きよひで)先生。
先生が水彩画を描いていることも知らず、なんとなく信頼出来そうだ、という理由だけで先生のゼミに入ってしまい、一年間⋅⋅⋅。
手取り足取り技法を教わった訳でもなく、自分のなかに先生の影響があると気付いたのは デザイン学校を卒業してからです。
なんとも不思議な関係なのですが、明暗をはっきり付ける、白抜きにマスキング液を使う、といったいまの私の画風の基礎は 間違いなくこの先生からのものです。
昭和15年生まれの入谷先生、いまも定期的に、精力的に個展を開いています。
興味のある方はぜひ、足を運んでみてください!